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古巣ドジャースと引退まで

古巣ドジャースと引退まで

右肩・右ひじの故障などで「もう無理なのか?!」とも思われたNOMOですが、その都度復活を遂げています。2001年オフにはメジャーリーガーとして日本人初となるFAの権利を取得しています。NOMOはメジャーリーグに行ってから、球場には誰よりも早く現れてコンディションを整えます。そしてフォームの修正点を思いついたら、すぐに投げて試します。「僕は練習は嫌いですから、手抜いてますよ。ただ、絶対にはずせない練習というのがあって、それはやります。できるようになるまで反復してやる。それだけです。」近鉄時代には、鈴木啓二監督から納得できない練習方法や調整方法を強いられた時には、どうしてなんだ。と根性論の練習に対して疑問を挟んでいますが、自身がはずさない練習としているものは徹底的に、何回も何回もできるまで続ける。だからこそ、解雇されても這い上がってきたのでしょう。

再びカムバック!

メジャーに入団してから、いろんな球団でプレーしています。マイナーにもいっています。ケガをしても、解雇されても這い上がってきました。NOMOベースボールチームの設立をした背景には、社会人野球チームが休廃部が増えていることに危機感を感じ、野球人を目指す人の場所「野球ができる環境」を作らなくてはという信念からNOMOベースボールチームを設立しています。

ドジャース復帰:2002年

ドジャースに復帰した2002年。4月2日のジャイアンツ戦では4回まで1安打に抑えて、5回には2死満塁の場面で新庄剛志を迎えるます。新庄との対戦は、95 mph(約153km/h)の速球で二ゴロに抑えてドジャース復帰後の初勝利を挙げています。その後は、打線と勝利がなかなか噛み合わない状況が続きましたが、5月17日からは14勝1敗の活躍をしています。6月21日のレッドソックス戦でメジャー通算1500奪三振を記録しています。

7月1日のダイヤモンドバックス戦ではランディ・ジョンソンと投げ合っていて、打撃では5回にジョンソンの97mph(約156km/h)の速球を先制適時二塁打、投球でも8回5安打無四球無失点7奪三振の好投をみせ、自己最長タイとなる7連勝を記録しています。2001年シーズンの前半戦を18試合の登板で9勝5敗・防御率3.16・WHIP1.32の成績で折り返しています。

8月22日のマーリンズ戦では3回に突如制球を乱してしまい敗戦投手となってしまいますが、初回に自己最速になる97mph(約156km/h)を記録しています。この年ドジャースでチームメイトとなっていた石井一久とは与四球数において、メジャー全体で1位と2位を記録しています。1位は石井の106個、2位は野茂103個です。

2003年のシーズンではNOMO自身3年ぶりとなる開幕投手に指名されています。開幕戦となった3月31日のダイヤモンドバックス戦では、ランディ・ジョンソンと投げ合った試合で結果は完封勝利を収めています。4月20日のジャイアンツ戦で。メジャー通算100勝を達成して、シーズン前半戦を20試合の登板で9勝8敗・防御率2.97・WHIP1.12の成績で折り返しました。

9月に右肩回旋筋の炎症が見つかり、故障者リスト入りすることはなく療養した結果、14日には復帰しています。最終的に防御率はリーグ6位となる3.09、得点援護率がリーグワースト3位でありながらもリーグ5位となる16勝を挙げていて、チームメイトのショーン・グリーンから「ウチにはブラウニー(ケビン・ブラウン)とエースが二人(NOMO)いる」と絶賛されるほどの活躍を見せました。シーズンオフに肩の内視鏡手術を受けています。

2004年に、球団がオプションを行使して残留しており、2003年に続く開幕投手を務めていますが、オフに受けた肩の内視鏡手術から回復が遅れいたため球速が戻らいということもあって、2度目となる故障者リスト入りを挟み、4月17日から9月1日にかけて自己ワーストの10連敗を喫しました。

メジャーリーグを観戦しよう!

引退まで

古巣のドジャースに戻り2003年シーズンオフで右肩の内視鏡手術をうけています。そしてこの手術から球威がなくなってしまいました。2005年はマイナー契約でのスタートとなりましたが、メジャーで挙げた成績はすごいものがあります。ましてやNOMOの活躍していた頃のメジャーリーガーは、薬物バンバンの頃だったので大型ホームランバッターが多い中での登板を考慮すると、余計にすごい成績だと思います。

ドジャース退団後:2005年~引退まで

2005年はマイナー契約で、タンパベイ・デビルレイズと契約しています。6月15日のブルワーズ戦で日米通算200勝を達成していますが、翌月7月26日に解雇され、27日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んでいます。ブルワーズ戦で日米通算200勝を達成したことで日本プロ野球名球会入りの権利を得ていますが、この時点で名球界入りについては態度を保留して「今は返事をする必要がないと思う」と答えています。

2006年3月3日にホワイトソックスとマイナー契約をして、4月17日にAAA級シャーロットの先発として初登板していますが、右肘の炎症を理由に故障者リストに登録されていて6月8日に契約解除となりました。そして同じ6月下旬に、右肘を手術しています。

2007年はアメリカではなく、ドミニカ共和国でウィンターリーグへ参加することを検討していますが、右肘の術後の回復が思わしくないことからウィンターリーグへの参加を断念して、リハビリに専念するためにどのチームにも所属していない状態が続いていました。その後ベネズエラのカラカス・ライオンズに入団して、ベネズエラでのウィンターリーグへの参加が認められています。そして10月20日のグアイラ戦で、約1年半ぶりとなる登板を果たしています。

2008年の年明け早々の1月4日、ロイヤルズとマイナー契約を結んでいます。2006年に手術した右肘への負担を軽減するために、トルネードの大きな特徴になっているワインドアップ・モーションをやめて、セットポジションに投法を統一しました。オープン戦での防御率は思わしくはありませんでしたが、16イニングを投げて16奪三振、四死球は4つにとどめるといった比較的安定した三振が取れていると評価されたため、4月5日にメジャー昇格しています。そしてメジャー昇格した4月10日に1000日ぶりのメジャー登板となりました。(2005年7月15日以来)残念なことに、その後結果は残せなかったため、4月20日にDFA(Designated For Assignment and put on waivers(割当指名及びウェーバー入り)となりました。これは、ウェーバーになるか、トレードになるかを意味していて、戦力外通告のような形になります。

DFAになったことを受けて、5月11日に東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉意思を示していすが、入団には至りませんでした。7月17日に共同通信のインタビューに対して「リタイアすることにした。プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った」とのコメントをだして、現役引退を表明しました。

メジャーリーグでの大半を過ごしたドジャースを除く29球団との試合で勝ち星を記録していたため、あともう少しでMLB全部の30球団からの勝利を達成間近での引退となりました。

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