< 野茂からNOMOへ|メジャーリーグのパイオニア野茂英雄

野茂からNOMOへ

野茂からNOMOへ

大バッシングを受けながらも選んだ先のアメリカのメジャーリーグでは、従来の試合数よりも数が減りまたワールドシリーズも中止になったこともあって、メジャーリーガーのストライキに対してファンはブーイングで強く不満の意思表示をしていました。そんな中で渡米して2月のキャンプに参加。マイナー相手の登板で、面白いように三振を取っていきます。当時はフォーク・ボールを投げていなかったこともあって、実績がすべてのアメリカで結果が出なかったら直ぐにクビという中、着実に確実に成績を残しメジャー登板の日を迎えるのでした。

ドジャース時代

メジャーデビューは1995年5月1日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦です。村上雅則以来となる31年ぶり2人目の日本人メジャーリーガーになりました。登板して5回を投げきり、被安打1、奪三振7、無失点と好投していますが勝敗には関係ありませんでした。その後も登板して好投はするもののなかなか勝ち星に恵まれませんでした。

6月2日のニューヨーク・メッツ戦で8回を投げ、被安打2、奪三振6、自責点1と好投。メジャー7戦目にしてメジャー初勝利を掴みました。、

トルネード社会現象

長引いたストライキでメジャー人気は下がっていましたが、野茂の「トルネード投法」はアメリカで大旋風を巻き起こしました。独特のトルネード投法とフォークボールの奪三振ショーに、ファンは熱狂して野茂さんが登板する試合には、ドジャー・スタジアムの観客は激増したほどです。もちろんNOMO関連グッズも飛ぶように売れて、ノモ・マニアという造語まで誕生したほどです。

初勝利を挙げた6月2日から、14日のピッツバーグ・パイレーツ戦では、球団新人最多記録になる166奪三振を記録しています。そして24日のジャイアンツ戦では、日本人メジャーリーガーで史上初となる完封勝利を記録しています。29日のコロラド・ロッキーズ戦までで、サンディ・コーファックスを抜いて球団新記録になる4試合での500奪三振を達成しています。6月は『ピッチャー・オブ・ザ・マンス』を獲得しています。50.1イニングを投げて、2完封を含む6勝0敗・防御率0.89・WHIP0.82という好成績を残しています。

前半戦を13試合の登板で6勝1敗・防御率1.99・WHIP1.07の好成績で折り返していて、オールスターゲームにも初選出。オールスターでは先発投手を務めて、2イニングを1安打無失点に抑えています。後半戦も15試合の登板で7勝5敗・防御率3.03・WHIP1.03の成績を残して、シーズン通算で13勝6敗、グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位となる防御率2.54・236奪三振、リーグ最多の3完封を記録して『最多奪三振』のタイトルを獲得しています。ドジャースも7年ぶりとなる地区優勝になるのにNOMOは大きく貢献しました。

NOMOの大活躍に、手に平を返したように日本では賞賛の嵐。アメリカでの大活躍に日本でもドジャースのTシャツを着用する人も大勢出てくるほど社会現象にもなりました。シンシナティ・レッズとのディヴィジョンシリーズでは第3戦に先発していますが、6回途中5失点で降板して敗戦投手になり、チームも3連敗で敗退しています。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではチッパー・ジョーンズを抑えて受賞し、サイ・ヤング賞の投票でも4位に入るという、メジャー1年目でした。

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メジャー2年目ノーヒット・ノーラン達成

メジャー2年目の1996年。スプリングトレーニング中に3年430万ドルで契約を延長しています。4月13日のフロリダ・マーリンズ戦で、コーファックスに次いで球団史上2位となる17奪三振を記録して、完投勝利を挙げています。7月5日のロッキーズ戦で、8回5安打1失点の投球で日米通算100勝目を達成しています。9月1日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では、メジャー史上3人目となる1年目から2年連続200奪三振を達成しています。

9月17日のロッキーズ戦。この日は雨で試合開始が2時間遅れての試合開始となりましたが、この日はいつものトルネード投法を封印したセットポジションに終始した投球で『ノーヒットノーランを達成』しています。

ちなみに試合が行なわれたクアーズ・フィールドは、場所が高地ということもあり空気が薄いためスタミナの消耗が早くなっていて、おまけに球場も広くない上にボールも飛びやすいという「打者にとっては天国」として知られるクアーズ・フィールドだけに、この場所でノーヒット・ノーランの達成者は、2011年時点で野茂さんだけです。このノーヒット・ノーランは「完全試合より価値がある」と報道したメディアもあるほどです。

天候不順で試合開始が2時間以上も遅れるということは、投手としてコンディショング調整も難しいもの。そして高地といった投手にとっては決してプラスとはいえない環境での『ノーヒットノーラン達成』はアメリカで賞賛されましたが、その2時間をどのように過ごしていたかというと、ヘッドホンをつけてソリティアをして時間をつぶしていたといいます。投げる本人はいたって平常心というのが、メジャーで活躍できる人のすごさを垣間見たような気がします。この月の『ピッチャー・オブ・ザ・マンス』を獲得しています。

後半戦は15試合の登板で7勝4敗・防御率2.84・WHIP1.10と好調を維持していて、最終的にはチーム最多となる16勝をマークしています。ドジャースはサンディエゴ・パドレスと地区優勝を争った結果、1ゲーム差で敗れてはいますがワイルドカードを獲得しています。アトランタ・ブレーブスとのディヴィジョンシリーズでは第3戦に先発していますが、4回途中で5失点と力を発揮できずに敗戦投手となってしまい、チームも前年に続いて3連敗で敗退しました。

1997年:1998年

1997年4月25日のマーリンズ戦では、ドワイト・グッデンの記録を更新してメジャー史上で最速になる444回2/3での500奪三振を達成しています。8月28日のオークランド・アスレチックス戦でもグッデンに続いてメジャー史上2人目となる『新人年から3年連続の200奪三振』を達成しています。

前半戦は18試合の登板で8勝7敗・防御率3.81・WHIP1.27の成績で折り返していますが、7月26日のフィリーズ戦で打球を右肘に受けて退場しており、診断の結果は打撲でした。この結果、故障者リスト入りすることはなく復帰することができましたが、後半戦は15試合の登板で6勝5敗・防御率4.81・WHIP1.50と不調に陥いります。9月14日のヒューストン・アストロズ戦以降はトルネード投法を封印して、前年達成したノーヒットノーラン達成試合以来となる終始セットポジションからの投球に切り替えています。最終的は、リーグ4位となる奪三振数を記録していますが、ドジャースはポストシーズン進出を逃しています。このオフには、6月から張りがあったという右肘の遊離軟骨除去手術を受けています。

1998年は従来よりも1ヶ月早くにロサンゼルス入りをして、トレーニングを開始しています。スプリングトレーニングでは球速が91mph(約146km/h)まで回復していたため球威はありましたが制球が良くない状態だったため、計21回を投げて自責点19という結果でシーズン開幕に不安を残す結果となりました。4月3日のレッズ戦ではメジャー自己最多になる7連続奪三振を記録していますが、18日のシカゴ・カブス戦では2/3回を8失点で降板しています。メジャー通算100先発となった4月28日のミルウォーキー・ブルワーズ戦の7回に、日本人メジャーリーガー初本塁打を記録して自身の通算45勝目をマークしていますが、5月9日のマーリンズ戦では右手中指のフェイクネイルの圧迫による痛みを訴えて、途中降板しています。5月まで12試合の登板で2勝7敗・防御率5.05・WHIP1.40と不調に陥りました。

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