< 落ちぶれてボロボロになっても投げ続けようと思いました|メジャーリーグのパイオニア野茂英雄

落ちぶれてボロボロになっても投げ続けようと思いました

落ちぶれてボロボロになっても投げ続けようと思いました

野茂さんの言葉に「花があるうちに辞めるんじゃなくて、落ちぶれてボロボロになっても投げ続けようと決めました」。メジャーからマイナーに降格しても、ベネズエラリーグに行ってもNOMOは投げ続けました。どこかのチームじゃないと入団しない。とか○△球団から戦力外通告を受けて他球団からオファーが来てもあっさりと引退する野球人もいる中で、ボロボロになるまで投げ続けようと決めた野茂さんとの違い。あっさりと引退して、へらへらバラエティ番組に出ている元○△球団にしがみついている人物とは大違いです。

メジャーリーグを観戦しよう!

メジャーでのNOMO

日本から渡米して一番最初に契約してトルネード旋風を起こしたのは、ロサンゼルス・ドジャースです。そこから、ニューヨーク・メッツ⇒ミルウォーキー・ブリュワーズ⇒デトロイト・タイガース⇒ボストン・レッドソックス⇒ロサンゼルス・ドジャース⇒タンパベイ・デビルレイズ とメジャーを渡りますがココまでがメジャー契約です。それ以降はマイナー契約で、ニューヨーク・ヤンキース→シカゴ・ホワイトソックス→カンザスシティ・ロイヤルズになります。

メッツへ移籍してから:98年99年

NOMOは1998年6月1日にドジャースに退団の意思を示します。6月4日にトレードでメッツに移籍しました。7月に3連勝を記録していますが、1試合のリリーフ登板を含む17試合に登板して、4勝5敗・防御率4.82・WHIP1.44の成績でした。シーズン通算では6勝12敗・防御率4.92に終っています。

1999年1月18日に、1年292万5000ドルでメッツと再契約しています。しかし残念なことに3月24日にメジャー登録40人枠から外れてしまい、30日に解雇されています。4月1日にカブスとマイナー契約を結んでいますが、3登板で解雇されていて、4月29日にブルワーズと1年25万ドルで契約しています。5月9日にメジャー復帰を果たしています。シーズン前半戦を13試合の登板で7勝2敗・防御率3.95・WHIP1.37の成績で折り返しています。

8月2日のメッツ戦ではドジャースとメッツでバッテリーを組んだマイク・ピアッツァと対戦していて、第3打席で本塁打を打たれたりと、5回9安打6失点で敗戦投手となりました。メッツ戦での試合後には「ずっとピアッツァを相手に投げたいと思っていた。彼にはもう少し良い球を投げたかった」と語っています。

9月8日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではロジャー・クレメンス、グッデンに次いでメジャー史上3番目のスピード記録になる147試合目でのメジャー通算1000奪三振を達成しています。シーズン後半戦は15試合の登板で5勝6敗・防御率5.06・WHIP1.46と調子を落としてはいますが、最終的にチーム最多の12勝を挙げています。

タイガース時代:2000年

2000年1月22日に1年契約をデトロイト・タイガースと結んでいます。契約内容は年俸125万ドル+出来高225万ドルで、2年目は年俸550万ドルの球団オプションつきでした。NOMOはこの年から、ツーシームとスライダーを習得しています。その他にも、セットポジションでのフォームを改良したことで、クイックのタイムを1.5秒台から1.3秒台に縮めています。

4月3日のアスレティックス戦では、日本人で初となる開幕投手を務めていて、最速95mph(約153km/h)を記録する投球をして、7回3安打3本塁打3失点での勝利投手になりました。7月2日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦ではマック鈴木と日本人対決の投げ合いとなり、7回0/3を無失点7奪三振で勝利しています。

9日のブルワーズ戦では、「ソーセージ・レース」なるものにも参加しています。「ソーセージ・レース」はミルウォーキー・ブルワーズの本拠地での試合で開催されるマスコットによるアトラクションです。6回表裏終了後に出場者がソーセージの着ぐるみをかぶってスプリントレースを行います。観客が勝者を当てるものというもので、ブルワーズの本拠地の名物にもなっています。NOMOはブルワーズ名物の「ソーセージ・レース」で優勝をしていて、観客にはレースの後にアナウンスでNOMOがソーセージの着ぐるみに入っていたことが知らされました。

2000年のシーズン前半戦は、20試合の登板で3勝7敗・防御率4.74・WHIP1.48の成績で折り返していますが、8月に右手中指の炎症でNOMO初となる故障者リスト入りをしました。18日のアスレティックス戦で復帰して、最速93mph(約150km/h)を記録する投球で5勝目を挙げています。12月15日にボストン・レッドソックスと年俸325万ドル+出来高75万ドルの1年契約を結んでいます。

レッドソックス時代:2001年

2001年4月4日には2度目となる「ノーヒット・ノーラン」を達成しています。この時はボルティモア・オリオールズ戦です。電気系統の故障で試合開始が遅れた中での、2度目となるノーヒットノーランを達成となりました。

ナショナルリーグとアメリカンリーグという両リーグでのノーヒットノーランの達成は、サイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアンに次いで野茂英雄がメジャー史上で4人目となりました。レッドソックス通算100周年の試合となった26日のミネソタ・ツインズ戦でも7回まで無安打の投球を見せています。

5月2日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対決しています。イチローとの対戦では、第1打席と第2打席を二ゴロ、中飛に抑えて、第3打席には死球を与えています。25日のトロント・ブルージェイズ戦では7者連続を含む14奪三振1安打で完封勝利を挙げていて、6年ぶりとなる無四球を記録しています。

6月16日のブレーブス戦では3回に日米通算2500奪三振を達成しています。2001年シーズン前半戦を18試合の登板で8勝4敗・防御率3.83・WHIP1.21で折り返して、7月20日のシカゴ・ホワイトソックス戦で2年ぶりとなる5度目の10勝に到達しました。

7月は負けなしの5勝・防御率3.00・WHIP1.50の成績で、ピッチャー・オブ・ザ・マンスの投票ではマーク・マルダーに次ぐ2位になっています。8月からは2勝6敗・防御率6.07・WHIP1.49と調子を落としていますが、2001年はシーズンを通して奪三振率が9.00を切ることなくリーグ1位となる奪三振率10.00を記録しています。4年ぶりに200奪三振を越えて2度目の「最多奪三振」を獲得しています。この年には、古巣ドジャースと契約を結び、12月19日に2年1375万ドル(3年目は年俸900万ドルの球団オプション)でドジャースに復帰することになりました。

プロの指導がうけられるクリニック